美人になる方法〜女性らしく美しく、豊かで最高の人生を送るためのアイデアが詰まった女性向け情報サイト〜

TOP > メルマガバックナンバー目次 > 【第19回】「もし明日死ぬと言われたら・・・?」

【第19回】もし明日死ぬと言われたら・・・?(2010年8月2日)

 んにちは、ワタナベです。今日は、お盆も近いことですし、生と死について、最近感じたことをつらつらと語ってみたいと思います。ちょっと暑苦しい内容ですの覚悟の上、お聞きくださいませ(笑)では、本題に入ります。


 私はブログでも書いている通り、100歳まで長生きする!といい続けていますが、時にふと、もしかしたら逆に、明日死ぬかもしれない、とも思うことがあります。たぶん、今年、忙しいからだと思うんですが、ふとそんなことがよぎることがあります。私の本来の性格からして、引きこもらーのグータラ大好き人間なのに、どうしてこうも内から沸いてくる見えない力に後押しされるかのように、仕事をしていられるのはなぜなのかな〜と考えてみましたら、二つの理由が思い浮かんでまいりました。

 一つは、とても臭い言い方で言葉にするのが恥ずかしいのですが、読者様への愛であること、ま、独りよがりの愛なんですけども、もう一つは、後悔の無い人生を歩みたいからこの二つが、どうも私の大きな動機付けとなって、この元来フニャラケた私を動かしているようです。


 話は変わりますが、ブログにも書いたとおり私は今年の初め、祖母を亡くしました。おおらかな祖母でした。周りの人に愛を注ぎ、自分に対して決して良くしてくれるわけでもない人に対してでも、同じように愛をもって接することのできる内外共に美しい人でした。彼女との関わりは、私にとっての宝のような経験になりましたが、それと同時に、私にとっての仕事のあり方を考える上で、より強い動機付けを受けるものとなりました。 人はいつの時代もこうして死んでゆくんだな・・・と考え、棺に入った祖母の安らかな表情を眺めながら、冷静にそのことを考える機会となりました。

 日本は平和すぎるゆえに、死を身近に感じることも少なく、惰性的に人生を送っている無感覚な人が多いのかもしれないですし、自分の物欲を満たすことに熱中できるくらい、恵まれている環境なのかもしれません。

 でも世界には、毎日その日その日の生命を繋ぐことだけにフォーカスしていなければならない人も大勢いるわけで、そして、そういう人たちと私達の生死に対する認識の差ってだいぶズレもあります。

 そういう環境に自分が置かれて、自己啓発とかの知識も何もなかったら、ま、悪くは無いんですけども、やっぱり自分もみんなと同じようになってしまうのかもしれないと、思ったりもしました。ただ、私達から見れば決して恵まれているとは言えないような環境、つまり発展途上国で暮らしている人々は、人生を必死に、精一杯生きているか、といえばかなりの高確率で「YES」だと思うんです。

 最近見たユーチューブで、小さな少女の人身売買についてのドキュメンタリーの動画がありましたが、貧困によってやむを得ず数百ドルで奴隷として売られた少女が、売られた先で虐待を受けているという内容だったんですが、その少女は、取材者の「それでも明るい将来が待っていると思う?」という質問に対してハッキリ「YES」と答えていました。

 私自身はこういった搾取行為が世界中で行われていることに関して、最近は否定も肯定もしなくなりました。割とニュートラルに受け止めることができるようになったんですが、それよりも違う環境に置かれている人間として、彼らから学べることが沢山あるのだから、それを自分の人生に生かしていこうと考えるようになりました。


 最初に述べた、もしかしたら逆に明日死ぬかもしれない、という私の考えには続きがあります。







 それは、「もしかしたら逆に明日死ぬかもしれない・・・だったら、そのときに、その最期の瞬間に、十分できるだけのことはやった、後悔ない!と思えるような人生を送っているだろうか?自分はそのような人生を生きていると本気で言えるだろうか?」と考えてみたのです。

 もちろん、全てやりきった!という満足感に浸るためには、随分と長い年月がかかることは分かっているつもりではありますが、もし、明日突然に神様からリセットボタンを押されてしまったとしても、悔いは残らないだろうか?ということを常に念頭に置くようになってきました。そういう志を持って、ブログもセミナーもコーチングも、全てやっていきたいと最近は特に思っています。

 誰も、明日自分は死ぬかも知れないなんて、思っていないと思います。でも、そんなこと言いながら、サクッといなくなったりします。昨日まで隣の席で仕事していた同僚であったり、クラスメイトであったり、もしくは家族が、突然フッと、自分の目の前から取り去られることがあります。これが現実ではないでしょうか・・・?

 もしかしたら明日はないかもしれない・・・そんなことはないとは思いますが、明日自分が死ぬことを事前に知ってしまったら・・・?愛する家族の失敗に対して、「何やってるの?バカ!何回も同じこと言わせないでよ!」と言うでしょうか?職場の同僚に対して、「何回やってもダメ、マジ使えないねあんた!」と言うでしょうか?


 よく、死期を悟った人に仏心がつくということが言われますが、周りの人に対して、慈愛の心をもてるようになれば、今まで見ている世界が全く違った素晴らしい世界に見えるようになるそうです。そういう人たちが、残りの命の炎が尽きていく時間に、精一杯の自分の思いをぶつけていく姿勢に私達が学べることは、とても多いのではないかと思います。

 思い返してみると、美人になる方法の2010年のスローガンは「やりたいことは全部やる美人の人生」というものでした。もちろん、やりたいことがわからないという方も大勢いらっしゃいますし、学が無いから今さら何をやっても無駄だと思っている方もいらっしゃいます。

 ですが、あなたの愛する家族に感謝を表すのに、心理学の知識が必要でしょうか?職場の同僚に笑顔で話しかけるのに、完璧なマナーや立ち居振る舞いが必要でしょうか?友人に優しい言葉をかけてあげるのに、成功哲学は必要なのでしょうか?愛している人に愛していると言うのに、コミュニケーション技術を学ぶ必要があるのでしょうか?

すべては、ここが原点なのではないかと思います。その心の持ち方が、様々な人間関係のつながりを創出し、プラスのスパイラルは、新たなステージへとその人を連れて行くのだと思います。

 無我夢中とか、一心不乱という四字熟語などが思い浮かんできましたが、そういう心の状態になるためには、目の前にあることをただひたすら一生懸命に打ち込む必要があるのではないかと思います。そして、技術や知恵というのは、その後についてくるものであると、多くの成功者の事例は物語っています。

 時に人の死に触れるというのは、生きている者が、まだ自分が生きていることを実感して、生に感謝してまた生きる力をもらえる機会だと思っています。ストレスまみれの世界で、自ら命を絶つことなく、また外部の力によって命を断たれることなく今、生きていられるということは、まぎれもない奇跡であることに、どれだけの人が気づいているでしょうか?

 難病で世界的に有名だったアシュリーは、「もし生まれ変わっても、また私に生まれたい」といいました。


 あなたは、残りの人生をどう生きたいですか?明日死ぬとしたら・・・?どんな最期にしたいですか?

 今日は、ちょっと暗い質問ではありますが、簡単に答えが出てこない深い質問だと思います。これらのことを考えることによって、もしかして、これからの生き方に変化があるかもしれません。精一杯生きて、そして最期の時を迎えるときには、「あたし、やるだけやった!」と言えるような人生にしたいですね。

 本日のメルマガはここまでとなります。最後までご清聴くださいまして、ありがとうございました。暑い日が続きますので、お体大切になさってくださいませ。


このメルマガは音声で聞くことができます

下のコントロールパネルの右向きの三角マークをクリックすると再生します。

音声を再生するにはプラグインが必要です。

人気ホームページランキング

[TOP] [目次] [前のメルマガ]


メルマガバックナンバー


ブログ用QRコード

QRコードで「美人になる方法」のブログを携帯で見る


Copy Right 女性向け情報サイト 美人になる方法 Co.,Ltd. Since 2008